うちわの歴史となりたち、人々の暮らしの中で変化する伝統と技術
伝統的なうちわは、竹の骨に紙を貼り、絵を描いてあるものを思い出す人も多いでしょう。紙以外にも、絹の布を貼ったり、水うちわのように手漉き紙で加工したものなど、さまざまあります。
うちわというのは、打つ羽という言葉から来たといいます。打つようにあおぐことや、虫を追い払うために打ったからなど、語源には諸説あります。
団扇と書くのは、中国語で打ち羽の意味だそうですが、打輪という字を使っていたこともあるとか。
中国では、あおいで使うだけでなく、日よけにしたり、貴族や女性が顔を隠す道具に使われていて、優雅なアイテムだったことがわかります。
日本でも奈良時代に貴族の間で流行し、その後戦国時代に入ると、軍配団扇として、戦場で指揮官が采配をふるう時に持つうちわも流行しました。
鉄に皮革や木を使った軍配団扇には、黒い漆を塗った独特の形をしています。軍配団扇は方角を見たり、天文を読んで、戦士を配置する際などに用いられたといわれ、日、月、二十八宿などの絵柄が描かれていました。
軍配団扇は現在では、相撲の行司が立ち合いや勝負の判定の時に使用しています。
うちわはあおぐだけでなく、儀式や縁起かつぎ、祈願や軍配、信仰や占いといった場面で使われてきました。
竹や紙の技術が発展した江戸時代になり、江戸の文化が華やかになると、庶民にもうちわが普及していきます。この頃になると、うちわには役者絵といわれる柄が中心になり、美人画と並んで人気を二分していきます。こうした団扇絵と言われる版画は、幕末になると、風景画や花鳥画などにバラエティを広げながら、人々の生活の中に浸透していきました。
人気の役者や、その時に人気を集めた芝居の一場面が描かれたり、大入りを願ってこれから公開される舞台の一場面を絵柄にして売り出され、うちわで宣伝効果を狙ったものも多くありました。
うちわが現在のような販売促進アイテムとして認識され出したのも、この頃が始まりということになります。